しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

連歌と菊池万句と秋の草花

連歌とは和歌を五・七・五と七・七に分けて、二人以上で次々と
連続させて詠みあいながらひとつのまとまった美的世界を
創り上げていくものです。


始まりは万葉集とも言われていますがその後の戦乱の時代にも連歌は
人々に愛好され成長発展していきます。


勿論、菊池とて例外ではなく、武士を始め、僧侶や神官なども連歌を
楽しみました。


菊池市史によれば、戦火で荒廃していた藤崎八幡宮を武光の頃より
造営寄進を計画21代重朝の時に完成したのを祝って重朝は新社殿にて
一千句の連歌の会を催したそうです。

葛の花です。今が盛りです。秋の七草ですものね

上、下、も秋の七草、女郎花と萩の花です。

白萩も風情がありますよ。

薄暮のススキです。

水引草です。緑の中に四方に伸びた赤い花は小さくても目立ちます。

これは多分むかごの花だと思います。

白彼岸花が赤より先に咲きました。

これ知ってますか?オオケタデと言います。久しぶりに咲きました。

キツリフネ、今年は余り咲いてません。

ボタンヅル(牡丹蔓)、有毒植物ですって!

イタドリの花です。日本画みたいな配色に、はいパチリ。


さて、重朝ですが先の連歌の会から5年後の1481年秋に今度は自分の
屋形で会を開きました。


一日に一万句を詠む連歌の会です。
重臣の邸宅も含めて20か所に句座を設けて、各々500句を同じ時間に
詠むのです。


最初に詠む句は発句と言います。
ひとつの発句に続けて詠める句は100までです。
その趣きを壊すことなく、しかも前の句の言葉を使わずに詠むのです。


重朝の屋形では発句が5句詠まれました。紹介します。


まずは重朝、発句は「月松」です。
     月や志る十代(とがえり)の松の千々の秋
次は家臣たちの発句4句です。
    「月萩」 萩がえ(枝)におらし(じ)こほ(ぼ)さし(じ)
                            月の影
    「月萩」 萩のはに月も半(なかば)のひかり哉
    「月女郎花」 女郎花幾夜か月になひ(び)くらん
    「月薄」 花薄月にほのめくひかり哉
                        (資料菊池市史)
しつこいようですが、ひとつの発句から同じ思いを違う言葉で
綴っていくのですよ。
趣向としては面白いけど、大変ですよね。


そしてそれぞれの結びの句を挙句と言うのですって。
挙句の果てと言う言い方はここからきたそうですよ。


重朝の挙句は
      「夜ぞ惜しき月は残れるあしたかな」 です。


まだまだ戦乱が続いていた時代明日は死ぬかもしれない身でありながら
月を眺めて花を愛でる心は失わずにいたことに感動します。

柏葉紫陽花の紅葉がきれいです。

これは切らずにおいた紫陽花です。冬までこのままです。


昨日からの台風で一日おこもり状態でした。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。


あと半月ちょっとで中秋の名月ですね、
ひとつ俳句でもひねりましょうか。


では。

ただ不満を爆発させただけでは無いのです。

明治9年に起きた神風連の乱の志士たちのことです
彼等は真に国の行く末を憂い、事を起こすことで、急速な欧米化により
日本古来の精神性が失われて行くのを守ろうとしたのです。
         その行為は決して是とするものでありませんが・・

熊本市中央区黒髪に桜山神社はあります。

上の文字が小さくなってますがここはしっかりと読んで欲しいところです。

以前に取り上げた高木元右衛門を覚えていますか?
宮部鼎蔵の子弟です。
元右衛門は池田屋事件のあと蛤御門の変で戦死しています。

彼等は挙兵する時「神軍に洋風の兵器は用がない」と言い、刀剣と
槍で立ち向かいました。

志士のひとり、吉村義節(のりとき)は元右衛門と同じ菊池市隈府の
出身です。

菊池市隈府立町の妙蓮寺に墓と碑があります。

義節にも逸話が残っています。


菊池市史によれば家は貧しかったが、大刀は見事な業物を持ち日頃から
鍛錬を怠らなかったとか。

藁を編んで畳の代わりに敷いた部屋で、辞世を読むために和歌も学んで
いたそうです。

県令襲撃のあと、追われた義節たちは自刃しようと山畑に逃れそれぞれ
辞世を書いて髪に結び付けました。

義節は皆の介錯を頼まれ果たしましたが、心身ともに疲労していた
彼は何度も刃を突き立てますが、最後に自分が切腹をする力が
もう残っていませんでした。

血まみれで意識朦朧のまま捕らえられ裁判に掛けられ処刑されました。

小さい頃この妙蓮寺の境内でよく遊んだものです。
もしかしたら義節も・・ね。

お寺の方はこの墓も段々と木の根に巻き込まれたと言われました。


何が正しいか正しくないかという基準は誠に曖昧なものです。


人は自分が正しいと思った道を生きていくものなのでしょう。
傍から見れば危なっかしいようでも・・


では。


皆さん!山鹿市立博物館を忘れてやしませんか?

1978年開館された山鹿市立博物館です。


大坪眼鏡橋が隣接地に移築されてます。
館内には勿論、貴重な考古資料が展示されています。大人から子供
まで、なるほど納得できるいい施設です。
なのに、この閑散さ・・寂しすぎます。


まだたくさんの箱式石棺がここにはあります。
博物館からは静かな古代への道が続いており、そこを抜けると古墳が
待っています。

ご存知だとは思いますが、熊本県は装飾古墳の宝庫なんですよ。
県立の装飾古墳館も近くにあります。
そちらに行かれたら、ぜひこちらも見学に来て欲しいなと
思います。
関係者ではありませんよ(笑)
子供たちと昔見学に来て、最近久しぶりに再訪しました。

そしてここはあの西南戦争の激戦地でもあります。


来年の大河ドラマは西郷隆盛が主人公でしたね。


菊池市隈府でも戦いが繰り広げられました。


その話もできるように勉強したいと思っています。


熊本は毎日暑い日が続いていますが
長ぁい日本列島、各地で天候不順が起きてます。


皆さま気を付けて夏を乗り切りましょう。


では。