しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

ただ不満を爆発させただけでは無いのです。

明治9年に起きた神風連の乱の志士たちのことです
彼等は真に国の行く末を憂い、事を起こすことで、急速な欧米化により
日本古来の精神性が失われて行くのを守ろうとしたのです。
         その行為は決して是とするものでありませんが・・

熊本市中央区黒髪に桜山神社はあります。

上の文字が小さくなってますがここはしっかりと読んで欲しいところです。

以前に取り上げた高木元右衛門を覚えていますか?
宮部鼎蔵の子弟です。
元右衛門は池田屋事件のあと蛤御門の変で戦死しています。

彼等は挙兵する時「神軍に洋風の兵器は用がない」と言い、刀剣と
槍で立ち向かいました。

志士のひとり、吉村義節(のりとき)は元右衛門と同じ菊池市隈府の
出身です。

菊池市隈府立町の妙蓮寺に墓と碑があります。

義節にも逸話が残っています。


菊池市史によれば家は貧しかったが、大刀は見事な業物を持ち日頃から
鍛錬を怠らなかったとか。

藁を編んで畳の代わりに敷いた部屋で、辞世を読むために和歌も学んで
いたそうです。

県令襲撃のあと、追われた義節たちは自刃しようと山畑に逃れそれぞれ
辞世を書いて髪に結び付けました。

義節は皆の介錯を頼まれ果たしましたが、心身ともに疲労していた
彼は何度も刃を突き立てますが、最後に自分が切腹をする力が
もう残っていませんでした。

血まみれで意識朦朧のまま捕らえられ裁判に掛けられ処刑されました。

小さい頃この妙蓮寺の境内でよく遊んだものです。
もしかしたら義節も・・ね。

お寺の方はこの墓も段々と木の根に巻き込まれたと言われました。


何が正しいか正しくないかという基準は誠に曖昧なものです。


人は自分が正しいと思った道を生きていくものなのでしょう。
傍から見れば危なっかしいようでも・・


では。