しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

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  • 菊池氏の家臣は何故主君を守れないのか!

    菊池能運が負傷死したのち、遺言により、菊池政朝が家督を継ぎます。 父重安は、能運と共に玉祥寺原で戦い亡くなっています。 祖父為安は二十代為邦の弟でやはり戦死しています。 当主になり政隆と改名しました。 十四歳で肥後守護職に就きます。 そこを阿蘇大宮司惟長が狙っていました。 豊後の大友氏が扇動したと... 続きをみる

  • 渋江家の由来と逸材を辿ります

    菊池市隈府が第二の故郷だと言いながら、菊池に多大な功績を 残された渋江家を危うく素通りするところでした。 ♪あの日~あの時~あの場所で~♪ 雨がそぼ降る中、ふと目に留まった神社、何か気になって車から 降りて写真を撮りました。 ちょうどその時渋江宮司さんが車で来られたのです。 偶然は必然、本当にそう... 続きをみる

  • 菊池の菊まつりで菊の花に魅せられて・・

    菊の花見なんて何年ぶりでしょうか。 今日はしっかり、じっくり、ゆっくり、そしてまったりと菊見を して来ました。 ♪~菊はバラより美しい♪~~                 本当はバラが好きです(笑)  まだ満開ではなかったのが本当に残念です。 満開だったら、菊、菊、菊、菊づくしでせまられてどうな... 続きをみる

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  • 鞠智城をご存知なら、かなりの日本史通です

    国史跡、鞠智城は熊本県山鹿市菊鹿町米原にあります。 何と言ってもこの復元された八角形の建物が往時を偲ばせてくれて います。 この建物は4棟の跡地が見つかっています。南北2棟が一対となり、 さらに時を超えて同じ場所にもう一対建てられたようですね。 さて復元した建物を紹介しましたが、ここは本当にお城な... 続きをみる

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  • 九州の武家方は、どっちもどっち、でも必死?

    さあ、続きを始めましょうね。 探題職を直冬に取られた一色範氏は、宮方に付きました。 宮方の菊池勢は、戦うこと無く、一色勢を味方に出来たのです。 これを受けて、大友氏、島津氏も同調する動きをみせます。 宮方征西府軍は、北九州へ向けて出立します。 一色範氏は陣を出して征西府軍と合流しようとしますが そ... 続きをみる

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  • 体感、♪~あぁきのゆうひに~てるやまもみじ~パート2

    小国町の下城の大銀杏を見物したあと、遊水峡へと向かいました。 車で5分くらいの近さですが、急に奥山に入りこんだ感じになります。 そして目にした景色は・・ 紅葉と渓流の和の世界に引き込まれました。 かわいいカフェでまずはお茶しました。 カフェテラスでお茶なんて、人生初体験!しかも紅葉のパノラマですよ... 続きをみる

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  • 体感、♪~あぁきのゆうひに~てるやまもみじ~♪

    菊池菊まつりの帰りに阿蘇方面へ足を延ばして紅葉を楽しみました。 菊池渓谷を通って阿蘇外輪山へ抜ける観光道路があります。 人生黄昏モードのつれどうしですが、この日ばかりは晴天に 恵まれルンルン気分(笑) 阿蘇カルデラの中に浮かぶ阿蘇五岳、釈迦の涅槃像に例えられています。 遠くに見えるのは九重連山です... 続きをみる

  • 源為朝の妻子伝説が残る神社があった!

    菊池市役所に行ってガイドブックを頂きましたよ。 菊池市史を読んで気になっていた神社が幾つかありましたから。 そう、この神社気になりますよねぇ。で、この暑い中行って来ました 菊池神社大鳥居前を過ぎたら旧道に入り石橋を渡り北上します。 数分走ると平野部が狭くなり左側に岩の崖が多くなります。 そしてこの... 続きをみる

  • 菊池武朝申状 後編 仍て言上件の如し

    さて、今日は武朝申状のご紹介でしたね。 漢文体で書かれていたそうです。 菊池市史に掲載してある読み下し文を紹介します。 武朝の心中を察して難解な漢字にめげることなく読んで下さいね。   ※ 菊池右京権大夫武朝申す代々の家業の事 右今度勅使、将軍の宮に申さるるが如くんば、当家の忠孝は、元弘の 忠志に... 続きをみる

  • 懐良親王の晩年は筑後矢部でも御陵は八代?

    八代市にある懐良親王御陵です。 明治11年に公式に認められたそうです。 亡くなられた場所とお墓がだいぶ離れているのに何故でしょうか? 涼し気な川と緑あふれる山に囲まれた静かな所です。 天皇の勅使が御陵参拝後にこの石段を上って悟真寺に行かれたとか。 説明板によると、良成親王の命で菊池武朝が懐良親王の... 続きをみる

  • 菊池川を遡って・・でも鮎じゃないのでムリ・・

    ここは菊池川が山あいを抜け出て、平野に流れ始める所です 同じ場所から川下を見ると、ね、広いでしょ。 今日は、この川の上流にあると聞いた可愛い滝を目指しました。 途中立ち寄ったのがここです。 菊池氏は山越えして襲ってくる大友氏に備えて砦城を何か所も 作っていました。 道をかなり進むといよいよ渓谷らし... 続きをみる

  • 戦国末期の名将、甲斐宗運は菊池氏の子孫である

    1551年、大友宗麟が肥後守護となって以来、菊池家三家老のうち 赤星氏が隈府城に入り、城氏は隈本城に行き、隈部氏は山鹿の永野城 を居城としました。 大友宗麟の配下としての統治です。 しかし、その間、隈部氏と赤星氏は互いの勢力を大きくしようと 争うようになったのです。 両氏の祖先は菊池家のために団結... 続きをみる

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  • 亀の甲より何とやら・・今川了俊の戦法の妙

    菊池神社の石段です。 懐良親王と武光は石段を一歩、一歩登り詰め、やっと大宰府に 征西府軍を設けることができました。 足利尊氏は大原合戦の前年1358年、病死しています。 九州の状況を気にして、遠征しょうとしていたと言われています。 そのあと京都は南朝勢と幕府足利義詮勢の争いが続き、おまけに 武将た... 続きをみる

  • 珍しい碁盤の目の通りです

    菊池神社の表参道入口です。 隈府町は菊池氏が領主だった頃、京の町になぞらえて、 碁盤の目のような通りにしたと言われています。 菊池武光公騎馬像。後ろの丘に神社があります。昔は城山と呼んでいました。 県下でも有名な桜の名所です。 征西将軍、懐良(かねなが)親王は後醍醐天皇の皇子です。 菊池神社境内か... 続きをみる

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