しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

九州の武家方は、どっちもどっち、でも必死?

さあ、続きを始めましょうね。


探題職を直冬に取られた一色範氏は、宮方に付きました。


宮方の菊池勢は、戦うこと無く、一色勢を味方に出来たのです。


これを受けて、大友氏、島津氏も同調する動きをみせます。


宮方征西府軍は、北九州へ向けて出立します。

一色範氏は陣を出して征西府軍と合流しようとしますが
その前に、直冬、少弐頼尚の連合軍と、筑後で合戦になり負けます。


それで、武光たちは、いったん菊池に帰りました。


そうこうしているうちに、直義が死にます。
尊氏に毒殺されたとも言われています。


いくら争ってたとはいえ、あんまりな仕打ち・・


養父直義の死で、直冬の味方は減り、そこを宮方軍と範氏軍に攻められ
山口の長門に逃げたのです。


少弐頼尚は?降参するしかありませんよね。

忍冬の花です。心に刃を乗せて冬を耐え忍ぶ・・


一色範氏が宮方に付いたのは、一時的なもので、直冬が逃げたら
また武家方に戻りました。


しかし今度は、長門に逃げた直冬が、尊氏に追われ、宮方に付いた
のです。


そして元々尊氏の家臣である一色範氏は、敵対していた少弐頼尚を
逆に攻め込みます。


筑前の城を取り囲まれた頼尚は、筑後に布陣していた武光に救援を
求めました。


武光は直ちに兵を引き連れて行き、一色軍を払い、頼尚を助け
ました。
「針摺原の戦い」と言います。


助けられた頼尚は血判書を武光に奉じています。


「今より後、子孫七代に至るまで、菊池の人々に弓を引き、
矢を放つ事有るべからず」


信じていいのでしょうか?

白川です。数年前の大洪水で護岸が崩れました。その上に地震まで。


武光はこのあとも、戦さを続け、一応九州の武家方を押さえました。


が、しかし、またも背かれます。


大戦さ、大原の合戦が、刻々と近づいていたのです。
では。