懐良親王の晩年は筑後矢部でも御陵は八代?
八代市にある懐良親王御陵です。
明治11年に公式に認められたそうです。
亡くなられた場所とお墓がだいぶ離れているのに何故でしょうか?
涼し気な川と緑あふれる山に囲まれた静かな所です。
天皇の勅使が御陵参拝後にこの石段を上って悟真寺に行かれたとか。
説明板によると、良成親王の命で菊池武朝が懐良親王のお墓と
菩提寺悟真寺を創建したということでしたね。
少し納得できましたが、でも亡くなられたのは筑後矢部です。
矢部は懐良親王をずっとお側で守り続けた五条頼元が居住して
いた所なのです。
頼元はすでに死去していましたが、親王は征西府将軍を良成親王に
お譲りになりここで余生を過ごされました。
そして、1383年に55歳で崩御されました。
後醍醐天皇の皇子としての宿命を全うされた生涯でした。
懐良親王は高良下宮に願文を捧げられています。
「九州治乱一度にあらず、万民の難苦休むときなし。末世の
救い難きを愁ふといえども、責は一人の無徳に帰す。
過ちを悔いて余りあり、咎を謝して足らず・・・」
戦火により人民を苦しめたのはすべて自分の不徳のためであるから、
責任は自分一人にあると罪を謝しておられるのです。
では。
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