しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

西郷隆盛の祖先は菊池氏

あの西郷隆盛ですよ!

木々が邪魔して正面から撮れませんでした。
西郷隆盛は子供たちに菊の一字を付けているそうです。

羽根木八幡神社。

いやあ、びっくり、びっくりですね。さすが菊池氏!
そして、もうひとつお見せしたい所があります。

これは年賀塚古墳です。まわりは削られて小さいです。


昭和天皇もご覧になった景色です。
平野の景色は変わっても、遠くの山々は縄文時代、弥生時代、
古墳時代も変わらず、その姿を人々に見せていたのでしょうね。






隈府町に行って来ました


今日は五月五日、数十年ぶりの、祝日のお出かけです。
去年の地震が、人生を変えたようですね。みんなが遊ぶ時に働いて
ましたから。新緑の中、行きましたよ隈府へ!

築地井出(ついじいで)があります。この道を歩いて小学校へ
通いました。
今日は菊池神社へご案内いたします。前にも載せましたが、もう一度
お付き合いくださいね。


第一の大鳥居からの参道が物凄く長いんです。

二番目の鳥居です。ここから石段がこれまた長いんです。



同じように見えますが、上ってるんですよ。

ちょっと休憩。上から石段を撮りました。

まだまだです。

カーブします。息があがりそうです。

やっと手水舎(ちょうずや)が見えてきました。

手を洗ったらいよいよ、最後の石段です。

ここがとどめを刺すように、立ちはだかります。
頑張りましょう。

着きました。達成感があります。お参りしましょう。

右端手前の建物は能楽殿です。神楽殿ではありません。

では、さっき登った石段をおりますよ。

二番鳥居の狛犬です。これまた大きいこと。

にゃんこが苦労をねぎらってくれました。
はい、皆さまもお疲れ様でした。では。

















もう一度吉野山

隈府町の事を書くには菊池氏は欠かせませんし
菊池氏の歴史を書くにはやっぱり南北朝時代が欠かせないのです。


どの時代も、領地を懸命に守った菊池氏の当主達、時には拡大、
時には、縮小されつつ、数百年に渡り、菊地を治めたのです。


朝廷を二派に分かつほどの後醍醐天皇のお気持ちとは?

山桜に酔いしれつつ坂道をのぼり、吉水神社を訪ねました。


正直言って、ここに南朝の皇居があるなんて知りませんでした。

天皇はこの門から京都の方を眺められ、帰れる日を切望されたとか。


しかし、ついに帰京叶わず、吉野で亡くなられました。


崩御のあとも南北朝の争いは終わらず、実に五十有余年の年月を
掛けて激しい戦いが繰り広げられたのです。


そして、菊池氏も南朝方としてあまたの修羅場を駆け抜けました。

思惑と思惑が絡みあった世の混乱を静かに枝垂桜は見ていたのでしょう。