しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

ブラタモリ風に歩いて見たら・・

築地井出を見に行きました。

この上流に菊池川からの取水口があります。

お薬師さんの足元を流れ、

本当の所は解りませんが、清正公が作ったと子供の頃に聞きました。

昔はまだ水量が多く澄んでいて冷たく、水底には
川藻がゆらゆらと揺れ動くさまは、子供心にも畏怖の念さえ抱く
ほど美しい井出でした。

田園が井出より下になっているのがわかりますよね。
この土手を築き上げるのは、当時としては大変な土木工事でした。

築地地区から延々と井出が流れ行くあいだ、所々から田んぼへ取水され
それがまた小さい用水路となって次々に田畑を潤していくのです。
勿論、井出は他にも数本あります。では何故築地井出にこだわるのか?
答えは隈府町です。

遠くにあの築地井出の碑が見えますが、流れは消えています。
そうです、暗渠(あんきょ)になってるんです。残念ながら。

町は昔の佇まいですが、井出が見えません。

歩いて、歩いて、やっとまた出会いました。

以前はずうっとこのまま町の中を流れていたんですよ。
もっと巾も広くて、井出端通りには柳が立ち並んでたのを
覚えています。この先はまた暗渠になってるんです。
そ、タモリさんの好きな・・
怒られるかな名前出しちゃって、許してください暗渠に免じて。











菊池氏初代則隆公

則隆公は藤原則隆として、太宰府天満宮領赤星荘園の荘官
として赴任したと言われています。
姓を地名から取って菊池則隆と称したそうです。(菊地市史)

則隆は領民のため、ひいては荘園繁栄のため,各村に鎮守社、寺を
建立しています。

裏側は急な凝灰岩の崖で、横穴に石仏が祀られています。
ひとつだけ人が入れるくらいの穴があり、横穴式古墳かな?と
思いました。

静かな山村の奥に四宮神社はあります。

貴船神社です。神来(おとど)地区にあります。
すごいですね!神が来るですよ。入口前左の掲示板を見て納得
しました。それは・・

景行天皇ゆかりの地なんですね。

この神社は菊池川にほど近い場所にあります。
昔は水量多く、とうとうと流れていたであろう菊池川、
この川が菊池氏に繫栄をもたらしたんですね。







チャンチンもどき・・?

この高校に通っていた時もここに立ってたんですね。こんな大きな木に
気付かなかったなんて・・、言い訳がましいんですが、
当時とは校舎も違うし、他にも大きな楠が何本もあって、
校門入口からは両側にヒマラヤ杉がずらっと並んでたんですもの。
ごめんなさい。

元体育館跡地から貴重な遺跡が見つかってたんですね。
校門入ってすぐ左側になります。
丁寧な説明板は大変有難かったんですが、如何せん読みにくい。
いえ、文言じゃなくて・・
毎日とは勿論言いませんが、時々表面を拭いて下さいませんか?
生徒さん、お願いします。

懐かしい正門前です。