もう一度吉野山
隈府町の事を書くには菊池氏は欠かせませんし
菊池氏の歴史を書くにはやっぱり南北朝時代が欠かせないのです。
どの時代も、領地を懸命に守った菊池氏の当主達、時には拡大、
時には、縮小されつつ、数百年に渡り、菊地を治めたのです。
朝廷を二派に分かつほどの後醍醐天皇のお気持ちとは?
山桜に酔いしれつつ坂道をのぼり、吉水神社を訪ねました。
正直言って、ここに南朝の皇居があるなんて知りませんでした。
天皇はこの門から京都の方を眺められ、帰れる日を切望されたとか。
しかし、ついに帰京叶わず、吉野で亡くなられました。
崩御のあとも南北朝の争いは終わらず、実に五十有余年の年月を
掛けて激しい戦いが繰り広げられたのです。
そして、菊池氏も南朝方としてあまたの修羅場を駆け抜けました。
思惑と思惑が絡みあった世の混乱を静かに枝垂桜は見ていたのでしょう。
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