国指定史跡、細川のお殿様も見に来た隈部館
山鹿市の山あいに隈部館跡があります。
菊池氏の三家老の一つ隈部家の居城でした。
奥に金峰山がかすかにみえます。
菊地氏滅亡後、三家老の間で争いが起き、そこに大友氏、次に
島津氏そして秀吉の軍が攻めて来たのです。
わずか二ヶ月で平定した秀吉は佐々成政に肥後を治めさせます。
ここに庭園がありました。山水画風に想像してみてください。
隈部神社もちゃんとあります。
秀吉家臣、佐々成政に押さえられ国衆一揆を起こした隈部親永は
家臣共々切腹させられました。
また、その責任を負わされた佐々成政にも、秀吉は切腹を命じた
のです。
検死役に立ち会ったのは加藤清正です。
江戸に入り、肥後国主、細川斉護がここに見学に来ているのです。
観光だったのでしょうか?
その時に描いた絵図です。
かなり急な坂道でしたが、部下武士たちの屋敷が立ち並んでいた
そうです。
さて、菊池氏はあと三代で家系が絶えます。
最後まで目が離せない出来事が起こり、翻弄される菊池氏です。
では。
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