菊池外城の一つ、亀尾城に行って来ました
武朝が隈府を落ち延びるまで、了俊勢は、二年もの間この城に
陣を置き、じわりじわりと兵糧攻めをしたのです。
やはり、石段をのぼります。
七城町が見渡せます。右奥の緑色の細長く見えるのが台城跡です。
奥に隈府町が見えますよ。ほんとに、目の前まで来てた了俊は、
猫が獲物をいたぶるように、二年もここに居座ってたんですね。
本丸跡に、板井熊野座神社が建ってました。
境内の中に井戸が・・?
そう!ここは砦城だったんだ、兵たちが立て籠ってたのだから
水がなくてはだめですよね。
番兵が居ました。ご苦労様です。
城跡を見上げました。
菊池川からも見てみました。
砦は河岸段丘の上にあるのが良く分かりますよね。
さて武朝のその後ですが、菊池に帰ったあと、朝廷は一つに
なりましたが、その心中は複雑であったと思われます。
1407年に病没するまで、大友氏や次の探題、渋川満頼とも
戦いをしています。
室町幕府も菊池氏の実力を認めざるを得なかったとみえ
肥後守護ではないが、業務遂行を任せられる立場にあった
ことが市史に書かれています。
亀尾城の足元には、前川水源があり、毎日市民の皆さんが
水汲みに来られています。
武朝の本意は長子兼朝に受け継がれます。
では、今日はこれにて。
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