勢返しの滝は、武者返しだった↑↑
昨日、紹介した滝はやはり,勢返しの滝でした。
迫間川の両岸が最も狭くて、ここを通るしかなかった昔は、交通上
の要でした。
番所という地名もあり、細川藩が足軽を配置していたそうです。
もう一度見て見ましょう
滝は小さいけど滝つぼは深そうですね。
何故、勢返しなのか? そう、軍勢を引き返させたからです。
世は、菊地武光の時代
攻めて来たのは、豊後の大友氏の配下です。
山々を超えて侵入した軍は滝に差し掛かりました。
しかし、すでに察知していた菊池勢は、この地の利を活かして
待ち伏せ、撃退したのです。
緒方太郎の手勢はわずか二十数名だったとか。強いですね。
(資料菊池市史)
熊本城石垣の武者返しを思いださせる出来事ですよね。
今は、地震でだいぶ壊れましたが、武者返しの石垣は
残っています。
さ、いよいよ十五代武光の軍功物語に、舞台は変わりますが
今日は、一息入れましょう。
これに書いてある菊池公が誰なのかは分かりませんが、武時公か
武重公ではないでしょうか。
これも、シモツケです。
この木はヤマボウシです。山法師とも書きます。
花は今から咲きます。ハナミズキに似てますよ。
では。
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