奈良吉野山と隈府町
上の写真は菊池神社本殿です。
初回の終わりに、実は、隈府と吉野山は思わぬ繋がりがある、と書きましたね。
今日はその話をしましょうか。
菊池氏は平安時代から名前が歴史文献の端々に出てきます。
例えば蒙古襲来の時、
活躍したのは第十代当主武房(たけふさ)です。
博多にまで上陸して来た蒙古軍に攻められ、
苦戦の中、数百騎を率いて敵陣へ突撃し、退却させました。
世に言う神風が吹いたのは、その夜のことです。
さて、じゃ吉野山は菊池氏とどう関係してくるのでしょうか?
山桜で満開の吉野山で如意輪寺を訪れました。
そこには、後醍醐天皇の御陵があります。
朝廷が二派ある南北朝時代の南朝の天皇です。
鎌倉幕府が滅び、足利尊氏が征夷大将軍と称して室町幕府が出来るまでに、
双方の合戦が続きました。
ここで十三代菊池武重(たけしげ)ら一族は南朝方につき
激しく戦ったのです。
後醍醐天皇の御陵です。
これは如意輪寺境内にある楠木正成と息子正行(まさつら)像です。
正成が足利尊氏との湊川の戦いに向かう前に親子の別れをしているのです。
菊地武時,武重親子も同じく今生の別れをしています。
潔く戦さで討ち死にをするのが武士の生き様だったのでしょうか。
さくらのようにはらはらと・・・
明日はまた隈府町の話に戻りましょうね。
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