しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

武時挙兵が北条氏滅亡のきっかけ?

武時とは、先日書いた、あの十四歳で家督を継いだ十二代当主
菊池武時公のことです。

その武時が、蒙古襲来以後に、博多に置かれた、
幕府の出先機関である鎮西探題に討ち入り
壮絶な戦死をとげたのです。


しかし、これがきっかとなり、足利尊氏らが兵をあげ、鎌倉幕府
は滅びました。


そして世は南北朝動乱の時代となります。


今日は、武時が高僧大智禅師を迎えて開いた鳳儀山聖護寺を
訪ねました。

武時は若いころから厚く仏教を信仰し、髪をそり寂阿とごうして
もいたのです。

子の武重の時,開山という説もありますが・・

とにかく、このお寺のある場所はすごい山奥なのです。

境内からの眺めです。ほぼ八方ヶ岳の東側に位置します。
登り道も車一台がやっと通れるほどで、こんな所に何故?

人の影も見当たらないのに、境内は手入れも行き届いてました。

ここに、武時はじめ武重たちは、通い、大智和尚から曹洞禅の
教えを受けたと言われています。

大好きなガクウツギの花が山道のあちこちに咲いてました。


時代を変えた武時の討ち入り、しかしその死は壮絶という言葉を
超えた惨死であったのです。

明日はその話を書くつもりではおりますが、
果たして
死を覚悟しての戦さにのぞむ武時の丹心を
伝えることができるでしょうか・・


すでに山村の鳳来という地区からまた更にに2キロほど山道を登ります。