しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

歴女の、そこが知りたいパート5、あはれ時隆17歳

各地の御家人たちは新たな所領の増えない中、庶子のため分割相続を
しなければなりません。


本領地は狭くなるばかりです。


一族間の内紛は起こるべくして起こりました。写真がぼやけててすみません。

菊池氏は武房に八人の男子があり、皮肉なことに、
嫡男隆盛が家督を継ぐ前に亡くなります。


そこで隆盛の嫡男である時隆が、
つまり武房の孫が十一代の当主になったのです。

以前の広い領地なら、すんなりと相続できて、
だれも文句を言う者などいなかったでしょうに、
菊池氏の場合、過去の内乱によって所領地は削られてしまっていました。


異を唱えたのは、叔父の武本と武経の二人です。
二人の真意はどこにあったのか、想像するしかできませんが、
あの勇猛な武房を父に持つ二人です。
今一度菊池氏を再興したい、自分ならそれができる、と、
思ったのかもしれませんね。


幕府に判断を仰ぐために、二人は甥の時隆を連れて鎌倉まで赴く
のです。でも、結果は・・

時隆が勝訴します。嫡流であることが理由だと推察できます。

叔父たちの心中や如何に。幕府の対応に誠意はあったのでしょうか?

叔父武本は、鎌倉の諏訪左衛門宅にて、時隆と刺し違えて死にます。


哀れ、時隆、僅かに十七歳の生涯でした。うう・・若すぎる・・


涙しながらも歴女の疑問をぶつけましょう


刺し違えて? 刺し違えるということは、つまり、
お互いに刀を持ち相手を刺すということですよね、
向き合って。


叔父武本は少なくとも背後からは襲わなかったということでしょうか。

無念、無念、どちらも無念の死であったのです。
もうひとりの叔父武経は他国に去ります。


肥後菊池では、時隆の弟、菊池次郎武時が十四歳で十二代当主に
なります。もう誰も逆らう者はいません。

このように地頭御家人の窮乏が進む中で、
幕府北条氏は惣領家が権力を強めていくのです。
得宗専制と言います。


さ、武時が家督を継いだ菊池氏はどう生き抜いて行くのでしょう。

ちょっと手前が気にいりませんが奥が隈府町です。後方の高い山は
八方ヶ岳です。では。