大宰征西府を追い詰める武将現る、それって誰?
サギが漁をしているところだと前日言いましたよね。
獲物をじっくりと狙っているのです。
そ、狙われていたのは征西府なんです。
どうやら魚を川から獲ったみたいですね。
大原合戦で勝利した武光達は、大宰府に征西府を置くまでに、
実に二年もの月日を要しました。
菊池征西府軍は、頼尚の勢力がまだ残る肥前の各地に派兵します。
頼尚は、子の冬資と共にまだ大宰府にいて、大友氏の援助のもと
征西府軍と戦いますが敗れました。
この時、幕府は肥後守職を少弐氏から大友氏に代えています。
頼尚は家督を冬資に譲り、冬資は菊池軍と戦いますが、武光は
宗像まで行き、少弐氏、大友氏らを撃破してしまいます。
そして、大宰府の少弐氏の守護所を焼き払いました。
征西府軍は大宰府を奪い取り、懐良親王はやっと大宰府に
征西府軍を置くことが出来たのです。
慌てた幕府は、京都から新しく九州探題者を派遣します。
歴女は聞きます、じゃ、その人なんですか?
見てると、サギは何度も何度も、くわえては石に叩きつけています。
斯波氏経と言いますが、京都から、わずかな手勢で来て
大友氏、少弐氏、果ては長門の大内氏まで動員して戦うのですが
武光にことごとく敗れ、ついに、探題を放棄して京へ帰って
しまいました。
武光のとき交替した探題は五人にのぼります。
いかに武光が強かったかが分かりますよね。
あ、いよいよサギが魚をくわえました。食べられるのでしょうか?
六人目に探題として赴任して来たのは今川了俊です。
文武の道を究めた武将で、用意周到、焦らず、慎重な作戦で
着実に歩を進め、武光に迫って来るのです。
危ない!武光公、気を付けて!
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