しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

歴女のばら祭り

熊本カントリーパークでばらの香に包まれて、英気を養って
来ました。慣れないブログ作りに、少々疲れぎみでしたから。

さ、充分癒された所で、いざ、出陣です。


今日のテーマは領地の安堵です。


頼朝の九州施政は、きめの細かいものでした。


平氏の地盤であったためです。
菊池氏の場合も平氏方として
(壇ノ浦の戦さでは隆直の二人の子供が討ち死に)
戦後処理の対象となり所領が没収されましたが、
本領の菊池だけは安堵されました。


歴女は考えましょう。これって喜んでいいこと?


菊池氏は源氏の御家人とされました。


他の在地領主も含め国御家人(小地頭)と呼ばれ、
その上に東国御家人がより広い地域を
治める地頭(惣地頭)に任命されたのです。


そして、さらに守護制度です。
全部東国武士に占められてしまいました。

各地の御家人達は、大番役、鎌倉番役として、京都御所の警護や
鎌倉勤めを強要され、経費は自己負担だったのです。


歴女は考えましょう。


ん?これって何かに似てませんか?
江戸時代のあれ。あえて書きませんが。


この惣地頭と小地頭の配置が後々に対立、反発を招くことに
なるのですよ。


勿論、菊池氏も次第に反抗していきます。


源氏三代が滅び実権を握ったのは北条氏です。


執権と称して幕府を牛耳り権力を拡大していきました。


それを朝廷は黙って見ていたのでしょうか?

蔓ばらが好きです。では。