しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

歴女になるなら・・パート3

新しくなった、八女市岩戸山歴史文化交流舘を見学しました。

岩戸山古墳の石人,石馬は有名ですよね。
後日改めてご紹介致します。


なんと!受付のパンフレットの中に「南北朝動乱のドラマ」の
冊子がありました。


菊地武光とともに南朝の皇子達を守り
戦った八女の武将達、でもまだ詳しくは書けません。


これからお話しするのは鎌倉時代の菊池氏一族です。

平安時代の末期に台頭してして来た、源氏と平氏は
相争う顛末のあと皆様ご存知知のように、
平清盛が天下を取ります。


清盛以下平氏一族は日宋貿易でも財を成し
九州支配に力をいれます。


多くの武士達は様々な形で
平氏の御家人とされていったのです。


「平氏に非ずんば人に非ず」と栄華を極めた平氏です。


その支配を受け入れるか、あるいは反抗するのか?


菊池六代当主隆直は、平氏に対して敢然と立ち上がりました。


いわゆる養和内乱です。肥後の在地豪族も参加しました。


しかしここで清盛が病死します。
反乱軍は勢い付きますが、その三年間に大飢饉が全国を襲います。


歴女なら考えましょう。その頃の農民、庶民の生活を(涙)。


心ならずも平氏に降伏したのは領民が飢餓に苦しむ姿を見過ごす
ことが出来なかったからなのです。

菊池氏の紋所、並び鷹の羽です。


隆直が出陣の時に霊鷹(れいよう)の羽が冑に舞い落ちたのに
喜び、これに改めたんだとか。


さて清盛亡き後、天下を取った源頼朝は鎌倉幕府を開き
また同じように、九州の武士達をご御家人として支配するのです。


歴女は考えましょう!


驕る平家は久しからずとは何も平氏に限ったことことでは
ないことを。


源氏の血はわずか三代で途絶えています。
頼朝の子頼家は北条氏により伊豆の修禅寺に幽閉され、
暗殺されました。


弟の実朝が三代目を継ぎますが、鶴岡八幡宮にて参拝の帰り、
境内で頼家の子公暁に殺されてしまうのです。


そして公暁もまた北条氏に誅殺される
という運命を辿るのです。

菊池五山のひとつ東福寺からの眺めです。


手前の小高い山の頂きに菊池十八外城だった木葉城址があります。


奥にうっすらと見える山は鞍ヶ岳です。
その後ろに阿蘇外輪の原野が広がっています。


鎌倉時代の菊池氏一族の話はまだ続きますが、
今日はこれにて失礼します。