しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

歴女になるなら・・パート2

菊池川流域を治めることになった初代則隆は、本拠地を
川に近い小高い場所にきめます。
ん?丘なんですか?山じゃなくて? 何故でしょうねぇ、
世は平安時代ではありましたが、地方豪族達は着々と
財力と武力とを蓄えていたのです。武力は理解できますが
財力はどうやって増やしたのでしょう。
歴女は考えましょう!
昔は水量多く、船も行き来していたんです。人や物をたくさん
積んで。遠隔地との物資のやり取り、つまり貿易をしていたのです。

あくまでも推察ですが、初代則隆と二代経隆の時代、海外と貿易
した証拠として、菊池の旧家に宋銭(北宋)が沢山残されて
いたとか。(菊池氏史)
水運利用によって発展した菊池、領民にも信頼されていきました。

以前載せた則隆公の墓所です。
菊池氏は武士です。戦さは付き物、なのにどうして平池の城なのか?
歴女は考えましょう!
当時の戦さは原野での騎馬戦です。領民と支配地域を守るため
勇ましく打って出て戦ったことでしょう。
時代の転換期を迎える源頼朝が挙兵するのは、則隆公着任から
およそ九十年後です。

読みにくいとは思いますが、何せまだカメラ撮りが
下手でして、お許しください。
次からは鎌倉時代の菊池氏一族のお話になります。

友に誘われてアイラトビカズラを見に行きました。

このカズラ、これから書こうとしている源氏と平氏が、まるで
絡み合ってるように見えますよね
この蔓棚のうす暗い中に、ぎっしりと咲いてました。
いえ、ひっそりとかな? では。