しべ桜の興味津々

第二の故郷隈府町の、菊池氏一族をただいま
勉強中です

嵐に翻弄される樹々を見ていて想うこと・・

いきなり台風がきました。写真では良く分からないですが、
左右に大きく揺さぶられる樹々たちです。


自然には逆らえないと、つくづく思い知らされますよね。


でも翻弄するのは自然ばかりではないことは皆様ご承知のはず。


     故郷に今夜ばかりの命とも
            知らでや人の我を待つらん


これは菊池武時が博多探題に討ち入りする前に、嫡男武重
託した辞世の歌です。


有名な袖ヶ浦の別れです。負け戦さと分かりつつ行かねばならない
父の胸の内に、武重は思い至り去って行くのです。


また武時は博多へ出陣する前にも信仰していた阿蘇大神に参拝して
鏑矢を献じて詩を詠んでいます。
     
      もののふの上矢の鏑ひとすじに
              思ふ心は神ぞしるらむ


そして42年の生涯を振り返り、もうひとつ辞世を残しています。
     
      四十あまり二とせまでは眺めきぬ
              花やあるじとわれをまつらん

その三年後には、楠木正成と正行のあの桜井の別れがあります。


その時正行は11歳でした。
そして12年後、父と同じく南朝のため負け戦さに向かうのです。


正行らは如意輪寺の後醍醐天皇の御陵墓に参りその門扉に辞世を
刻んだのでした。

     かへらじと かねて思へば梓弓
             なき数にいる 名をぞとどむる


生きては帰るまい、いや帰れないのだ・・


討ち死にや自刃を礼賛はしませんが、そうせざるを得なかった
思いは受け止めてあげたいですね。


     雲井にものぼるべき身のさはなくて
               雲雀の床に音をのみぞなく


懐良親王の辞世の歌です。


身を引かれてのちも、父後醍醐帝の望みを叶えてやることが
出来なかった無念の思いを、亡くなられるまで持ち続けて
おられたのでしょう。

今日は、天候のせいかすこしセンチメンタルになりましたね。


では。